about the men,contact Gonzo
フィンランド_gonzoレポ_山口茜さんより
7月のフィンランド滞在中にお世話になった山口茜さんにゴンゾレポートを書いていただきました。するどい観察眼!Gonzoを見たときに感じる微妙なもやもや感の正体がちょっとみえてきたような気がしました。確かにGonzoは、彼らのことを知らない人が見ると痛みに共感して怖いと感じることが多いようですが、彼らのことをよく知っていると子猫がじゃれあっているようにしか見えない時があるのです。

--------------------------------------

彼らがなぜフィンランドを選び、そこでなぜcontactGONZOをするのか、そんな分析をする意味は無いように思われました。それよりも彼らのその動きによって、雨が降れば木々が芽吹くように、私のフィンランドにおける視界がぐぐーっと広がっていきました。

YOUTUBEで彼らのパフォーマンスを観たフィンランド人の友人が、GONZOに大変興味を持ち、コンタクトインプロヴィゼーションのとあるワークに挙げてこう言いました。彼らは、他者から触れられようとするその時に、必ず「EI」(いいえ)と返事をする。それは避けることであったり、応戦することであったり形は様々である。「JO」(はい)と受け入れるパターンは今のところ観られないが、そういったインプロは大変面白い。私はなるほどと思い、彼女の感想をを垣尾さんに伝えてみました。

するといつものごとく、すごく曖昧な返事が返ってきたので、負けじとつっこんで聞いてみると、どうやら彼らはGONZO中に「避けない事がある」というのです。つまり「殴る」という攻撃的な申し入れを、「JO」(はい)と受け入れることがあると言うことです。実はGONZOを観て、それを聞くまではまったく「わざと殴られている」とは思わなかったのですが、改めて観たときに、確かに彼らが、甘んじて張り手を受けていた瞬間をところどころ発見することができるようになりました。

わざわざ痛いことをする、しかもそれを甘んじて受け入れることがある。そう言う話を聞くと、当然「なぜ?」「なんのために?」という問いが投げかけられる事でしょう。ところがcontactGONZOを観る。すると、その最中に、口に出して「なぜこんなことをしているの?」という人はいない様な気がします。それよりも私たちは目で彼らの動きを追い、空気を必死で読もうとする、つまり言葉による問いかけではなく、自らの体を駆使してその状況を読み取ろうとするようです。彼らが受けた痛みを感じ、彼らが読もうとする空気を私たちも読もうとする。これは大変面白い現象です。もちろん終わった後に「なぜ?」と聞いてくる人はいるでしょう。私はその問いをそのままその人に帰したいような気がします。「あなたはなぜ、「なぜ?」と思ったのか」という事です。それは批判しているのではなくて、その問いを考え続けて行くのは興味深い事ですよね、という共感です。

なるべく全てのことに理由や原因を見つけて安心するということは、説明のつかないことを排除すると言うことでもあります。けれども、自分がまったく説明のつかない世界で生きていると言うことを、忘れてはいけないとよく思います。地球が球体で、その表面の約70%が水で覆われていると言うことを、私は現実みを持って感じることができません。科学的には説明がつくのだと思うのですが、そうではなくて「地球はかくあるよねえ」と常々感じることができないのです。そこにどんな意味があるのか。GONZOに対する問いかけもこれと同じであると私は思います。ちょっとスケールが大きすぎるかも。

ですので、「なぜかく存在するのか」という問いについては、家でリラックスしているときにでも考える事ができます。だから敢えてGONZO中にそんなことを考える必要はありません。それよりも、GONZOにはもっと興味深いことがあります。それが、「痛み」という手がかりを通じて、パフォーマーや観客が同じ感覚をたどろうとする試みです。

実は正直に申し上げて、GONZOの素顔を知らない頃の方が、GONZO中の痛みは現実的でした。その時の方がより「痛い」と感じたし、痛いことをするあなたたちはいったい何者だという思いが強くありました。しかしそれは実際に自分が肌で感じる痛みではなくて、もっと観念的なものだったのかもしれません。それが、実際に彼らの日常生活をかいま見ることによって、GONZOを観ている間の痛みの共感が薄れ、それにつれてだんだんGONZOが子猫の戯れのように見えてきたのです。子猫の戯れに意味があるとすればそれは戯れが「他者を知るすべ」だということです。たまに調子に乗ったネコが強く噛みすぎて、噛まれたネコが「ぎゃあ」と叫ぶことがありますが、そのようにしてほとんどの子猫が、手加減というものを覚えていきます。噛み合いひっかき合い、馬乗りになることによって、他者の痛みの度合いを覚えていくのです。30前後の男性を捕まえて、子猫のようだと言うのは多少気持ちが悪い気もしますが、実際観ていると本当にそんな風に見えるし、それを第三者として眺めている私も、言葉を失い、動物のようにただ眺めているという状況になってゆきます。そして初見の他人が遠巻きに眺めていたり、驚いて近づいてくるのをひっくるめて、GONZOの作り出す世界に知らぬうちに足を踏み入れているのです。


核シェルター

彼らの発見した、深くて暗い核シェルター(平時は駐車場として利用)に入って行くにつれ、いつの日か地上に出られなくなり、地底で生活している人間達の、未来の様子が頭に浮かびました。地上は廃墟と化し、かつてそこで生活していたと言うことを誰もが現実みを持って捉えられない日がやってくるのです。そう思うと、contactGONZOが古典芸能になる日がやってきてもおかしくはありません。殴り合わない芸術はありえない、という時代です。そのような事を考えていたら、彼らは突然カメラを設置してGONZOを始めました。

こういった場所でちょっと薄汚い男性3人が殴り合っているのを観ると、前述のような物語がさらに広がってゆきます。GONZOがどんなコンセプトを持ち、何をねらいとしているのか、そんなことは全く関係ありません。人のいない場所でのGONZOには、観客がたくさん居る場合のGONZOとはまた違った味わいがあって、つまり自分がGONZOの一員になったような気分になるのです。一員になって、地底生活を体験するのです。これはちょっとした体験型アトラクションでした。フィンランドの遊園地にあるお化け屋敷よりは数段、面白かったです。それは「核シェルター」という場所や、薄汚い彼らの服や息づかいがそうさせるのでしょう。私がもし彼らのプロデューサーならば、「GONZOと一緒に核シェルターへ行こう」というツアーを決行します。催行人数は0人から上限2人です。話がどんどん、contactGONZOから遠のいていますが、だいじょうぶでしょうか。ともかく、彼らとの核シェルター体験は、こんな感じでした。行って良かったと思います。


塚原くんの印象

常に俳優。英語がエロい。お化けが出たら足震えながら他の人守りそう。


三ヶ尻くんの印象

赤ん坊。タイミングの悪さが絶妙。お化けが出たら1番に逃げそう。


垣尾さんの印象

GONZO中がかっこいい。人種が不明。お化けが出たら友達になりそう。


[PR]
by gonzo_pm | 2008-08-26 07:25 | フィンランド
<< ヘッダー 去年のPAMOの様子 >>



contact Gonzo "project MINIMA MORALIA"
by gonzo_pm
メモ
このブログではcontact Gonzoというグループでもありメソッドでもある芸術形態の様子を観察してお知らせしています。実行中のプロジェクト<MINIMA MORALIA(ミニマ・モラリア>の進行ぐあいを随時、横道にそれたりしながらレポート中。

大阪府立現代美術センター
このプロジェクトを大々的にサポート。きっかけになった吉原治良賞記念アートプロジェクトのページ。

contact Gonzo
Gonzoたちによるブログ。


contact Gonzo tumblr!!

ゴンゾ的なもの?ゴンゾ・スピリッツを知るための。


Flickr!

ゴンゾの写真がいっぱい。


山口茜さんのブログ 
フィンランドでたいへんお世話になりました。
以前の記事
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
カテゴリ
全体
contact Gonzo
吉原治良賞アートプロジェクト
Minima Moralia
フィンランド
pamoアワード受賞公演
南京トリエンナーレ
Platform横浜+横浜トリエンナー
Platform Soeul
いとうせいこうナイト
踊りに行くぜ!
今後のスケジュール
その他
未分類
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧